創造人×話

光の陰翳を表現することで、自然と共存する世界を作品の中につくりだしています。

柴田 あゆみさん切り絵作家

今回は、切り絵作家の柴田あゆみさんをご紹介します。ニューヨークやパリなど主に海外を中心に活躍していらした柴田さんは、これまで私たちが抱いていた“切り絵”という概念を飛び越えた、圧倒的な存在感を持つ緻密な作品、繊細かつスケールの大きな作品を数多く発表し、世界が注目する気鋭のアーティストです。現在は制作拠点を日本に移し、個展や展覧会を開催されていらっしゃる柴田さんの魅力に迫ります。

“しげみ” In the Jarシリーズ作品

柴田さんは横浜市出身で、20代からニューヨークで生活されていたと伺いました。まずはニューヨークへいらしたきっかけからお聞かせいただけますか。

私は高校生の頃から、今の社会のシステムや持続可能な社会について考えることが多くて、卒業後は自らの表現手法として音楽の道を選び、音楽活動をしていました。情熱を持って純粋な気持ちで始めたのですが、6〜7年経つと初心を忘れ、段々ビジネスライクになってきて、ある意味で自分を騙しながら続けているような環境にこのまま留まっていて良いのか?という疑問を持つようになりました。

そんな時に大きな交通事故に遭い、奇跡的に軽傷で済んだのですが、何か大きなメッセージを与えられたような衝撃を受けました。そして、その事故をきっかけにいろいろ考えた結果、最終的にニューヨークに行く決心をしました。

行き先としてニューヨークを選ばれたのはなぜですか?

「命の詩」

それまで慣れていた環境を脱出するには勇気が必要でしたが、だからこそ、さまざまな国の人が集まり、希望や欲望が渦巻くニューヨークへ行き、自分の芯、柱が定まるまで帰ってこないという決意を持って渡りました。どこへ行こう、と考えた時に浮かんだのがニューヨークでしたから、直感のようなものだったのかもしれません。

ニューヨークにいらした柴田さんが切り絵作家としての道を歩むことになるまでのストーリーをお教えください。

幼少の頃から英会話を習っていたとは言え、きちんとした英語を話せるわけではなかったので、まず英語を学ぶことから始めました。やはり、しっかりと文法から学ばないと、軽い会話はできても、深い内容の会話をすることはできませんし、最初の数年間はとても大変でした。言葉の壁もあり、ニューヨークは人の流れや時の流れなど、すべてのスピードが速く感じられ、仲良くなった留学生の友達も帰国してしまうなど、精神的に辛い時期が続きました。都会の喧騒に疲れ、心が落ち込んでいた私は、家の近くにある教会に良く行っていたのですが、そこでの出来事が、私を切り絵の世界へと誘うきっかけを与えてくれたのです。

教会での出来事とはどういうことだったのでしょうか。

「はねの詩」

そこに一歩足を踏み入れて扉を閉めると通りのクラクションも聞こえなくなり、驚くほどの静寂に包まれた空間が広がる教会は、遮断された別世界のように感じられ、ボーっとしていると不思議なくらいに気持ちが落ち着くので、度々訪れていました。

そんなある日、ふと見上げたステンドグラス越しに光が差し込む様を見て、その光の美しさに心が震えるような感動を覚えたのです。また、私はカトリック系の幼稚園に通っていたのですが、礼拝の時にいつもきれいだな、と思っていた幼い頃の記憶を思い出しました。小学校では、図工の時間、紙にセロファンを貼ってつくる工作が好きだったことも思い出し、教会の帰りに材料を買って早速つくってみたら、とても楽しくて夢中になりました。

それから趣味で切り絵をつくり始め、8個ほどの作品ができた時に友人に見せたらギャラリーを紹介してくれて、お寿司屋さん兼ギャラリーでの展示を始めとして、他のギャラリーでも展示することができるようになり、切り絵作家への第一歩を歩み始めることになったのです。

展示「ほしのひかり・ひのひかり」 設営風景

ステンドグラスを通した光との出会いは、柴田さんが切り絵作家としての才能を覚醒された瞬間だったのですね。その後はどうされたのですか。

アメリカに渡って3年ほど経ち、ビザの切り替えもあったので、もともと興味のあった建築を学ぼうとも思ったのですが、TOEFLの点数が足りずに諦めていたところ、知り合いの方から、「国立アカデミー」というニューヨークでも一番歴史のあるアートスクールを紹介され、切り絵作家としての活動が認められて奨学金も受けられることになり、そこで4年間学ぶことにしました。

もともとは伝統的な芸術を教える学校なのですが、ちょうど私が入学した年に校長が交代し、イタリア人で現代美術家の方になったため、校風も変化し好きなことを出来る環境となったことは幸運だったと思います。もちろん、デッサンや水彩、彫刻と一通り学んでいったものの、やはり、つくっていて心と身体が一体化していたのは切り絵でしたし、生徒一人ひとりの個性を広げてくださる先生と出会ったおかげで、好きなことに思い切り打ち込むことができました。3年目からは校長のアシスタントを務め、近くで多くのことを学ばせていただきました。