創造人×話
たくさんの人とのご縁、場所との出会いに感謝しながら魂を込めて作品をつくり続けています。
小松 美羽さん現代アーティスト
今回は、現代アーティストの小松美羽さんをご紹介します。端正な顔立ちから「美しすぎる銅版画家」と称されることも多い小松さんですが、2015年に当時30歳という若さで、彩色を施した有田焼の一対の狛犬「天地の守護獣」という作品が大英博物館に永久所蔵されたことが話題を呼ぶなど、その類い稀なる才能が世界で認められている注目のアーティストです。
多くの人が将来は何になろうと悩みながら成長していくのに対し、小松さんは小さな頃から、画家になると決めていらしたとお聞きしました。何かきっかけがあったのでしょうか。
特にきっかけがあったわけではなく、まだ物心がつかないうちから絵を描いていました。私には3歳違いの妹がいるのですが、幼いながらに妹ができるのが嬉しくて、2歳位の時に生まれてくる赤ちゃんのために絵を描いたことを覚えています。生まれは長野県坂城町で豊かな自然に囲まれて育ちました。長野県には多くの美術館があり、母はよく私たち姉妹を美術館に連れて行ってくれたので、そこで画家という生業があることを知った私は、美術館の感想ノートに、「将来は美術館に作品を展示してもらえるような画家になりたい」などと書いて家族にあきれられていたみたいです。画家として生きていきたいと、なぜか幼い頃から願い、それが叶うことを信じていたように思います。
独特の世界観で観る人を圧倒させる、エネルギーに溢れた小松さんの作品づくりのルーツは幼少時代に遡るのかもしれませんね。
小さな頃から、近くの神社や土手に行き、様々な自然の中に身を置くと、私の周りに妖精のような、あるいは妖怪のような「生きもの」が現れて、それを絵に描くのがとても楽しく、最初は他の人には見えない存在であるとも思わずにいました。また、ある時から、私が道に迷うと茶褐色の山犬が現れて、いつも道案内をしてくれるようになり、それがしばらく続いたのですが、雪の日に現れたその犬の足跡がないことに気づいてふと目を上げると、くるくると円を描いて消えてしまいました。そんな不思議な体験の数々が私の今の作品につながっていると思っています。非現実的な話のようですが、今でも彼らの存在を感じることがありますし、海外に行くとその土地の「生きものたち」に出会うこともあります。
それはとても興味深い話です。そんな不思議な幼少体験をお持ちの小松さんは、美大では何を学ばれたのですか。
最初は美術大学が自分に合っているかどうかはっきりしなかったので、まず短大に行ってみようと思い、女子美術大学短期大学部に進んだのですが、そこで銅版画に夢中になりました。私がずっと探し求めていた線が、銅版画にはあったのです。結局短大卒業後も研究生として2年間在籍し、制作を続けていました。
大学卒業後、わずか12年ほどで小松さんの作品が大英博物館に永久所蔵され、また世界的な美術品オークションハウス「クリスティーズ」に出品した作品が高額で落札されるなど、順風満帆にキャリアを積み、今の地位を築いていらっしゃるように見えますが、画家として認められるまでのご苦労もあったのではないでしょうか?
大学卒業後は百貨店のギャラリーでアルバイトとして働きながら、機会を見つけては、アート関係の方々に作品を見てもらったりしていましたが、なかなか認めてはもらえませんでした。そんな中、ご縁があって私の作品に興味を持ち、理解してくれる方に出会うことができ、道が開けてきました。様々な世界の方々と出会う機会を設けていただき、お話を伺ううちに、作品と人との関係性についても学ぶことができました。そして、絵は自己満足で描くものではなく、人の心に向けて描くものなのだと強く思うようになったのです。おかげさまで今は仕事の幅も広がり、銅版画はもちろん、ペン画、墨絵、アクリル画や着物の衣装デザイン、屏風大作、有田焼への絵付け、映画の劇中画制作など多様な作品を手がけさせていただき、とても充実した日々を送っています。
小松さんが大切にされている創作のテーマをお教えください。
小さい頃から見てきた不思議な「生きものたち」は、ある意味で生と死のはざまに存在するもので、私の創作テーマである“死生観”につながるのではないかと思っています。家では動物をたくさん飼っていたので、彼らの死に立ち会うこともあり、その時に「人間も動物も死ぬ姿は一緒だし、死と生は本当の意味で平等だ」と実感しました。死をマイナスに捉えるのではなく、逆に肉体を全うして生きることの大切さを、人としての魂のあり方を教えてくれるものとして捉えることができれば、死は希望へと結びつくのです。魂が共鳴する絵を描くことが私の役目なのだという思いで創作活動を続けています。