創造人×話
「デザインは人を幸せにするためにある」
落語はその表現方法のひとつだと考えています。
林家 たい平さん落語家
今回は、落語家の林家たい平さんをご紹介します。日本テレビ系の長寿番組「笑点」の大喜利メンバーの一人として幅広い年齢層の方々に人気が高く、多くのテレビやラジオに出演、独演会や全国各地での落語会、講演会など、落語家の枠を越え精力的に活動されている林家たい平さんは、美大卒という異色の落語家でいらっしゃいます。
はじめに、武蔵野美術大学を卒業され落語家の道を選ばれたきっかけからお聞かせください。
高校生の頃は、学校の先生になりたいと思っていました。進路相談の際にそのことを言うと、担任の先生がたまたま東京藝術大学卒の美術の先生で、「美術大学に行って美術の先生になる道があるよ」と勧めてくれました。そして、その先生が美大受験へ向けての勉強法を指導してくださったおかげで、武蔵野美術大学の造形学部視覚伝達デザイン学科に入学することができました。
無事大学に入学し、さて、どのサークルに入ろうかと思っている時に、ふと落語研究会という暖簾が目につき、覗いてみると人の良さそうな先輩が3~4人いてコタツで寛いでいました。話を聞いてみると「新入部員が集まらないので廃部寸前」とのこと。私自身、それまでお笑いは好きだったものの落語に興味はなかったのですが、私が入れば存続できるのでは?と思い、友達十数人を連れて入会したのが、落語との出会いでした。
落語研究会に入られて、それをきっかけに落語の魅力に気づかれたのですね?
それがそうでもなくて、他の大学の落研とは異なり上下関係もあまり厳しくない中、畳にコタツというのんびりした環境でお弁当を食べたりして、落語自体にはそんなに興味を持たないまま過ごしていました。芸術祭の時も、肝心の落語よりも、美大生ですから舞台づくりの方にむしろ力を入れていたくらいです。
それでは、落語家を志すようになる、何かターニングポイントのようなことがおありだったのでしょうか。
大学に入り、まず教わったことは「デザインは人を幸せにするためにある」ということでした。その言葉がずっと脳裏にあるまま学生生活を続け、デザインに興味を持ち、デザインの楽しさに触れるうちに、教師ではなくデザイナーとして生きたいと思うようになりました。そして課題に取り組む日々を送っていたのですが、大学3年のある夜、家で課題の絵を描いているとラジオから落語が流れてきました。何となく聞いているうちにどんどん引き込まれ、今まで感じたことのない気持ちになったのです。
ラジオですから声しか聞こえないのに、風景が想像できて、人の顔が浮かんでくる。一人でゲラゲラ笑った後とても優しい気持ちになって、課題に追われ、ざらついていた心に軟膏を塗られたような、そんな温かい気持ちでいっぱいになりました。その時、紙に描くだけがデザインではない。心の中をデザインする落語ってすごいなと思い、「人を幸せにするデザインのために、自分が使える画材は落語かもしれない」と気がついたのです。
このことが落語に真剣に向き合い、落語家を志すきっかけになりました。私はムサビに行き、デザインを学んだからこそ、落語家になったのではないかと思っています。
それから落語家への道へはどのように進まれたのですか。
大学3年の時に落語の魅力に気づき、一刻も早く落語家になりたい気持ちはあったのですが、大学に進ませてくれた親への恩返しのため、そして大学を卒業することで見えてくる風景、経験値を大切にしようと思い、きちんと卒業しようと決め、残りの学生生活はそれまで以上に頑張りました。卒業制作も落語家にとって必需品の手ぬぐいをテーマに、藍染めの型絵染めで連作のポスターをつくり、「研究室賞」をいただきました。そして、大学を卒業してから、林家こん平に弟子入りをお願いし、1年間行儀見習いとして様子を見ていただいた上で弟子になりました。その頃はアパートを借りるお金もなく、6年半、大師匠・林家三平宅(海老名家)に住み込みをしていました。
落語の世界では、自分の師匠以外の師匠たちも稽古をしてくださり、何かと面倒を見てくれるのも、とても有難かったです。これは多分大好きな自分の師匠ばかりに稽古をしていただくと、その師匠のミニチュア版になってしまうので、早く自分の芸を磨きなさいということなのだと思います。人生の財産を無償で分けてくれる伝統が脈々と受け継がれてきた落語の奥深さに感銘を受けました。
私は住み込みをしたことで、師匠の近くで生き方、そして落語の空気感を感じることができたし、そこで多くのことを学ばせていただいたと思っています。
落語の持つ魅力について、少しお聞かせください。
私は美大を出て商業デザイナーではなく、「笑業デザイナー」になったと思っているくらい落語が大好きで、一人でも多くの方にその魅力を伝えていきたいという気持ちで活動を続けています。
落語は人生を豊かにする引き出しのひとつです。嫌なことがあったりイライラしたり、落ち込んだ日も、お酒を飲みに行ったり、カラオケや映画に行くなどの他に、落語を聞いて笑うという選択肢もあることを知っていただけたら嬉しいし、大人はもちろん、子どもたちにも小さな頃から落語に触れて欲しいと思います。
映像に慣れてしまい、受動的になりがちな今の子どもたちにとって、想像力を養うことはとても大切ですし、落語に出会うことで、想像力の素晴らしさを知るきっかけになって欲しいと願っています。
落語家として多忙な日々を送りながら、「笑点」をはじめとする多くのテレビ、ラジオに出演され、講演会や大学での授業など、幅広く活躍されていらっしゃいますが、もし時間があったらやってみたいことはありますか。
時間があったらやってみたいことは、時間があってもやれないことだと私は考えています。時間がないからこそ、その時間を大切にして今できることをする。そう思って毎日を過ごしていますので、たとえば移動中の新幹線で新しい落語を覚えたり、夜1時間でも寝る時間を削って絵を描いたりと、今の自分ができることをどんどんするようにしています。
最近、家で飼っている黒猫をモデルに雑誌でイラストの連載をさせていただいているのですが、水彩画だと自分がどの程度描けるかすでに分かっているため完成形が想像できてしまうので、あえて使い慣れていない彫刻刀で木版画をつくり、とても楽しんでいます。
新しいことに挑戦し、未知の自分に出会えるのはワクワクしますし、学んだことが無駄にならないよう、染色で言う色揚げ(色のあせた布などを染めなおして美しくすること)をするように常に学び直し、美大出身の落語家であり続けたいと思っています。そして、時間があればあるだけ落語をやりたいので、やはり落語家は天職なのだと感じています。
最後に、光やあかりについて何かコメントをいただけますか。
私は写真を撮ることが好きで、実はずっとあかりの当たる風景を撮ってきました。特に好きなのが工事現場の光です。落語家は舞台の照明を浴びて、デスクワークの人は部屋の照明の下でなど、人はそれぞれライトを浴びて仕事をしています。工事現場の光もその一つで、それがとてもかっこいいなと思ったのです。
他にも光の写真はたくさん撮っています。自分の目とほぼ同じ感度になるよう、あえてシャッタースピードの遅い感度ISO100位のフィルムを使って撮影するのですが、そうすると夜のあかりは当然ブレたりぼやけたりします。
私は感動する時間とそこにいる時間は比例しなければならないと思っていて、三脚を使ってパシャッと撮って次に行ってしまうのではなく、たとえ手ブレしてもじっくりと撮影することで、その感動する時間までが映るのではないかと考えています。作品展を開いたこともあり、工事現場の光もそうですが、ディスプレイ用に作られた光ではなく機能から生まれる光の美しさに魅力を感じています。日常の中のたくまざる光に感動しますし、人の心に訴えてくると思います。
私は美術が好きなので、よく美術館にも行きますが、たとえ足を運ぶ時間がなくても、そんな身近なことで感動できる心を養い自分の中でしっかりと消化することで、これからも落語の楽しさを皆さんにお届けしていきたいと思っています。
林家 たい平(はやしや たいへい)
1987年 武蔵野美術大学 造形学部卒業
1988年 林家こん平に入門
1992年 二ツ目昇進
1993年 北区若手落語家競演会 優勝
1993年 NHK新人演芸コンクール 優秀賞受賞
1994年 にっかん飛切落語会 特別賞受賞
1998年 にっかん飛切落語会 奨励賞受賞
1999年 さいたま芸術劇場主催 彩の国落語大賞受賞
2000年 真打昇進
2004年・08年 国立演芸場主催 花形演芸会 金賞受賞
2008年 平成19年度(第58回)芸術選奨 文部科学大臣新人賞受賞
2010年 武蔵野美術大学 芸術文化学科 客員教授 就任
2014年 (一社)落語協会 理事 就任
落語においても明るく元気な林家伝統のサービス精神を受け継ぎながらも、古典落語を現代に広めるために努力を続け、落語の楽しさを伝えている。たい平ワールドと呼ばれる落語には老若男女数多くのファンを集め、年間を通じ定期的に行う自らの独演会を中心に全国でも数多くの落語会を行っている。落語の伝道師として名を広め、これからの落語界を担う、今もっとも注目を浴びる落語家である。